ある女子高生のお話

私が思った。

ショートカットに縛られて

この1年、髪を伸ばせずにいる。くせっ毛も原因、似合わないのも原因。でも1番は、ショートが好きって言われたからで、

 

私の8ヶ月はどこへ行くんだろう。最初は推しで、ただ目で追ってて、認識してもらいたくて話すようになって、優しいねって笑ってもらって、それでも彼女いるからって思ってたのに。

彼女いてもいいから、この人には優しくしたいと思ってたのに。

 

5月の終わりに別れて、もしかしたら、もしかしたら行けるかもしれないって、やっとチャンス来たのかもって、

 

6月の終わりに告白されて、やっとだって、元カノの代用品だとしても嬉しくて、それでも良いって、都合のいい女でもいいって、諦めないで良かったって思ったのに、

 

タイミングも質も悪すぎる!7月の終わりに元カノが新しい彼氏捨てて戻ってきて、ふらっとそっちに行っちゃった

そのくせ「青のことも大切なんだよ」って、なんだよそれ!

 

元カノも君も1度好きになったなら最後まで好きでいろ!

相手が私じゃなくていいから、好きならちゃんと好きって言えよ

君らがよく考えずに離れたりするから私みたいなのが生まれるんだよ、

 

守りたいなんてただの独占欲、素直はただの自分勝手、私の優しさがきっと君をクズに育てた

 

クズでもなんでもそれでも好きで、だって8ヶ月だよ、簡単に8ヶ月捨てられるかよ、好きとか嫌いとかコントロールできない、だって私ロボットじゃないもん、人としてのアイデンティティ失ってまで諦めたくない、

 

私のこと傷つけるのが怖いなら最初から大切になんかするな、1番じゃないやつに優しくなんてするな、

 

なんでフる方が泣きそうな声してんの、なんでフラれる私が慰めてんのよ

しゃんとしろ!君は元カノ守りたいんだろ!綺麗にした独占欲でも嘘じゃないならそれでいいよ

 

なんでもできちゃうんだよ、君に言われたら。なんでもしてあげるよ、1秒でもこっち向いてくれるんだったら。

 

君がショートカット好きって言うから、私はまだ髪を伸ばせずにいるんだよ

責任取って月一のヘアカット代くらい出してよね

性別のない世界のお話

もしも本当に神様がいて、アダムとイヴが作られたなら。

どうして男女としたのだろう。自分に模したのなら、どうして1組の男女になったのだろう。

1人の人間に2つの性器があればいいのに。

 

人に性別なんて概念がなければ、私はあの子に告白できるのに。

あの子の長い黒髪すくいあげて、静かに静かにキスをするのに。

私の方へあの子が振り向く、そんな瞬間があるというのに。

性別のせいにして一歩も動かない私が、この世界からいなくなるというのに。

 

男女の差もなくなって、セクハラなんて、わいせつ行為なんて、痴漢なんて、生理のつらさなんて。

男女の認識の差なんて、何でも奢らせようとする女子なんて、ヤリチンなんて、ビッチなんて。

世の中の男女の問題だって、きっと少しは減るのに。

 

そうなったら少し、ほんの少しだけ、

人類は完璧に近づくのに。

そうして正しくあの子を愛せるのに。

綺麗にあの子を愛せるのに。

 

そんなことを思いながら、あの子のことを想いながら、私は1人の女のまま、女のままで生きていく。

落ちてる金平糖

幸せって、案外簡単になれるんだと思います。

たとえば、仲のいい友達からノートを貸してもらえたとか。橋から見える夕焼けが綺麗だったとか。小さなお菓子をいただいた、とか。

でもそれって、意識しないと見つからないんですよね。

 

私は比較的、ネガティブな方なのだと思います。自他ともに認めていますから。でも、いつまでもマイナスなことばかり見つめて、好きなものを見つけられない人生なんて、つまらないじゃないですか。

嫌いなものなんて見つからなくていい。見つけても、口に出さなくていい。毎日、ちょっとの幸せを探して、見つけて。好きなものだけ口に出して。それで人生、ちょっとは充実するでしょう?

 

私は、よく笑ってよく食べる、可愛い人になりたいです。

少ない友達と笑いあって、美味しいものを食べて。嫌いなものを口に出さず、日々の幸せで満足するような。

 

床に落ちてる金平糖を探し回って、やっと見つけたとき、それは埃をかぶっているかもしれないけれど、甘いことには変わりない。

 

誰かのことをちょっと好きになれた。誰かと今日はちょっとだけ多く喋れた。

それだけで、明日も幸せ。

おじいちゃんと卒業アルバム

8月14日。私の祖父の命日だ。

私は後悔ばかりの人生を送っている。その後悔の一つに、祖父が関係しているのは誰も知らない。

 

後悔といえど、色々あると思う。私は砂粒のような後悔を日々積み上げているが、そうではない人もいる。だが、この祖父への後悔は砂粒なんかじゃない。そんな些細なものではない。

 

 

私の祖父は、心臓が悪かった。昔は1人で生活も出来ていたし、叔母や私の家で過ごしていた時期もあった。だが、中学2年生の頃からか。祖父は入退院を繰り返すようになった。

 

小学6年生の頃、祖父は私の家に住んでいた。私はその頃、写真が嫌いでニコリともしない無愛想な子供だった。自分の笑顔を機械に向けることが、とてつもなく嫌だったのだ。それは卒業が近づいても変わらなかった。無愛想な私が、卒業アルバムに並んでいる。不思議なことに、写っている私は確かに幸せだったはずなのに、ニコリともしていない。卒業アルバムには後悔ばかりを抱いている。

 

母は、私に「おじいちゃんに、卒業アルバム見せてあげな」と言った。正直に言うと、嫌だった。昔から自分の顔は好きじゃなかった。コンプレックスの塊だったが、男子などにからかわれやすい年頃だったこともあり、私は拒んだ。それどころか、自室のクローゼットの奥の方に隠してしまったのだ。

 

 

それから私は、母の通っていた公立の中学校に進学した。母の通っていた頃とは違う制服だったが、祖父は満足そうだった。

 

小学校の卒業アルバムは、見せられなかった。機会を完全に逃してしまった。

 

中学3年生になって、卒業を意識し始めた私は、次こそは、祖父に卒業アルバムを見せようと思った。写真嫌いは直っていたし、入退院を繰り返す祖父に、自分の中学校生活を見て欲しかったのだ。

 

 

そして、夏。受験生ということで高校見学、塾、課題などに追われる日々。母と進路のことでぶつかり続けたこともあり、私の生活習慣はめちゃくちゃだった。さらに、私は母から衝撃的なことを教えられた。

 

「青。おじいちゃんが認知症なのはわかってるよね?...おじいちゃん、青のことがわからない時があるみたいなの」

 

私だけ。私だけ、祖父の中から消えている。叔母と母は、自分の娘たちだから。従姉妹たちはもう成人済みで、長い間関わってきたから。私の弟たちは、祖父の血を引く初めての男児で、祖父はとても嬉しかったから。私だけ、私だけがいない世界を、祖父は生きていた。

私は、祖父のことを少し避けるようになってしまった。祖父は、何も悪くないのに。

 

 

ある昼下がり、弟は寝ている私を起こして言った。

 

「青、おじいちゃん死んじゃったよ」

 

私はその言葉で目が覚め、飛び起きた。え、おじいちゃん死んじゃったの!?と聞くと、弟は頷いてドアを閉めた。そういえば、朝早く母が私に何か言っていたような。

 

夜、私は祖父に会いに行った。初めて、死に触れた。綺麗な顔だった。だが、その細い首も手足も、指先もぴくりともしない。薬の投与でアザのような青が多く出た、細い手首。顔には白い布がかけられていて、祖父は、確かに、確かにそこにはいなかった。

 

 

祖父の亡くなるたった2週間前に、私は祖父のお見舞いに行っていた。今通っている高校と、祖父のいる病院が近かったからだ。久しく会っていなかった祖父は、まだ私を思い出していないだろうと思っていた。だが病室に入り、カーテンをくぐった後、私はなんて自分はひねくれていたのだろうと思った。

 

叔母は祖父に、「(母)と青が来たよ」と言った。祖父は目を開け身体を起こし、しばらくすると泣き出した。

 

「大きくなったなあ、大きくなったなあ」

 

そう言って泣いているのだ。私は馬鹿だった。大馬鹿者だった。私はちゃんと、祖父の中で生きていた。私はちゃんと、愛されていた。私は、ちゃんとあなたの孫だった。

 

 

卒業アルバムは、見せてあげられなかった。私は、祖父は私が中学校を卒業しても生きているものだと思っていたのだ。甘い考えだった。別れは、死はいつだって突然だと言うのに。

 

大きくなったなあ、なんて。私はこれからも成長するよ。お父さんに似て、身長も女にしては高い方だし。あの中学校のダサい制服じゃなくて、高校の制服姿も見て欲しかったよ。受験を乗り越えた姿、見て欲しかったよ。私の中学校3年間、見て欲しかったよ。とってもとっても幸せだったんだよ。卒業文集だって読んであげたかったよ。私の声で、私の言葉を。

でも、ダメだったね。小学生の時、クローゼットに隠しておかなければ。あの時、恥ずかしがらずに、見せてあげればよかったね。

 

そんな言葉は、もう祖父には伝わらない。これを読んだ人が、卒業アルバムを大切な人に見せていなかったら。どうか早く、早く見せてあげてください。

あなたが、私と同じ後悔をしませんように。

「知る」と「わかる」

 私の父方の祖母は健在である。今でも家を訪ねると、海賊船の描かれたガラスのコップにオレンジジュースを注いで、チョコレートなんかを出してくれる。これからもきっと、笑顔を忘れない素敵な女性だ。

 

 そんな祖母はよく私を考えさせてくれる。小学4年生の時、私は祖母にこんなことを言われた。

 

「知っているのと、わかっているっていうのは違うのよ」

 

「知る」と「わかる」

似ている言葉のように感じる。だが、祖母は「違う」と言い切った。6年経った今、私はその違いについて考えていた。そして、1つの考えにたどり着いた。

 

「知っている」と「わかっている」の違いは、理解の度合いによると思う。「わかっている」ほうが、理解の深いものと考えたのだ。

 

例えてみるならば、この2つはイチゴのタルトの一部である。「知る」が上に乗っているイチゴであり、「わかる」が下の生地だ。我々は、上のイチゴからナイフを入れる。そこから深く、生地まで刺して切り分ける。ここでいうイチゴのタルトは知識である。

 

分けたイチゴタルト1つを、1分野の知識とする。小分けになったイチゴタルトに、深くフォークを沈めることは豊富な知識を得ることである。生地まで刺して、わかっていると言えるのだ。

上のイチゴを刺しただけでは、それは「知っている」と同じであり、決して深くわかっているというわけではないのだと思う。

 

だが、表面のシロップやイチゴを口にしただけでタルトを全て知った気になり、リポートをするような人間が多いように感じる。それを人々は「にわか」と呼ぶのではないだろうか。

 

これは完全なる、私の考えである。正しいとは思っていないし、否定してもらって構わない。

だが、否定するならば「知る」と「わかる」の違いについて考えてからにしてほしい。

そして出来るならば、あなたの考えを聞かせて欲しい。

考えない限り、あなたも甘いシロップに喜ぶだけの人間なのである。

 

イチゴのタルトをどう分け、どれに深くフォークを刺すかで個性というものが出てくると思う。どのタルトにも深く、強くフォークを刺すことの出来る人間になりたい。